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榊原清則先生

永田晃也 技術経営、科学技術政策

22/08/08

 今日は、昨年6月に逝去された榊原清則先生という経営学者についてお話ししたいと思います。
 榊原先生には、私が九州大学ビジネス・スクール(QBS)の専攻長を最初に務めた2012年にアドバイザリー委員に就任していただき、この委員会が教育課程連携協議会という組織になった後も、協議会委員として一貫してQBSの運営に多くのご助言をいただいてきました。亡くなられる数年前からパーキンソン病と闘う生活に入られ、薬の副作用だと話されていましたが、移動などはかなりお体に障りがあるようにお見受けしました。そこで昨年4月に協議会を開催する際には、オンラインでご出席いただくこともできますと申し出たのですが、毎年福岡に行くことを楽しみにしているので、その楽しみを奪わないで欲しいとまで言われ、伊都キャンパスで開催された会議に対面でご出席くださいました。この最後のご出席となった協議会から3ヶ月も経たないうちに亡くなられたため、そこで頂いたご発言が私たちにとっては先生のご遺言のようなものになってしまった訳です。ビジネス教育の優れた先達であった榊原先生という方がどのような経営学者であったのか、そのひととなりとともにお伝えしたいと思った次第です。

 まずご略歴を紹介しておきますと、榊原先生は1949年、北海道小樽市のお生まれで、電気通信大学をご卒業後、一橋大学大学院商学研究科博士課程を修了し、1978年に一橋大学商学部専任講師に就任されています。その後、マサチューセッツ工科大学客員研究員、ミシガン大学客員准教授など米国での研究生活を経験され、1990年に一橋大学商学部教授に昇進されますが、2年後には、その職を辞して世界有数のビジネス・スクールであるロンドン大学大学院ビジネス・スクール(LBS)に転出し、准教授に就任されています。これは周囲を驚かせる転出だったと思いますが、その動機について先生はあるエッセーの中で、4、5年は外国で仕事をしたかったと語っています。実際LBSで4年間仕事をされると日本に戻られ、慶應義塾大学総合政策学部の教授に就任されました。その後、科学技術庁科学技術政策研究所の総括主任研究官、産業技術総合研究所のプロジェクトリーダーなど国の研究機関での仕事を経験され、2011年に法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授、2014年には中央大学ビジネス・スクール教授に就任し、2020年に退任されています。

 研究者としての先生の業績は、イノベーション研究を中心として組織論、戦略論、人材マネジメント論、キャリア論などの多岐に渡るものです。初期の業績の中では、加護野忠男、野中郁次郎、奥村昭博と言う三人の先生方との共同研究の成果として1983年に出版された『日米企業の経営比較』という本が、日本の経営学研究における本格的な実証研究の先駆けをなすものとして位置付けられています。また、1992年に中公新書の1冊として刊行された『企業ドメインの戦略論』は、企業が自らの存在領域(ドメイン)をどのように定義するかによって、その成長が大きく左右されることを様々な具体例を挙げて解明した本であり、多くの一般の読者に関心を持って読まれていたと思います。

 ただ、私自身の記憶の中では、先生がMITのエレナ・ウェストニーとの共著で1985年に一橋大学の紀要に発表された英語論文が最も印象に残っています。その論文はコンピュータ産業での技術者の企業内移動や職場内訓練の役割について日米企業の比較を行ったものでした。当時、私は早稲田大学の大学院生で、同時に労働省の雇用職業総合研究所で週に2日ほど助手の仕事をさせてもらっていたのですが、その研究所で丁度、技術者の配置転換やOJTに関する研究プロジェクトが開始された折から、先行研究のレビューを行う過程で榊原・ウェストニー論文に行き当たりました。ここで論文の内容を詳しく紹介する時間はありませんが、ともかく論旨が明解で、書き手から非常に颯爽とした印象を受けたことを覚えています。そして、後年、実際にお会いした先生は、その論文から受けた印象に違わず、実に颯爽とした生き方をされている方でした。

 教育者としての先生の指導方法は、しばしばお弟子さん達から聞いた話ですが、非常に厳しく鍛え上げるスタイルだったようです。その一方で、ゼミ終了後の飲み会なども毎回徹底的に付き合うといった一面もあったと聞きます。こうした指導方法の効果なのか、先生の薫陶を受けたお弟子さんの中からは、第一線で活躍する多くの優れた研究者や起業家が輩出しています。一橋大学の教授を4名輩出しているということだけでも、その名伯楽ぶりが窺えます。去る5月22日に、青島矢一教授を中心とするお弟子さん達が一橋講堂で追悼シンポジウムを開催された際、お声がけを頂いたので出席してまいりましたが、本当に多くの方々に慕われていたことが分かるシンポジウムでした。

 私は先生が一橋大学で指導された初期のお弟子さん達と同世代ですが、籍を置いた大学が違いますから、学生としてご指導をいただく機会はありませんでした。初めてお会いしたのは、先生が科学技術政策研究所の総括主任研究官に就任した折、私が入れ違いに研究所から大学に転出し、その後先生が統括するグループに客員研究官として参加させてもらった時でした。そのため、ありがたいことに最初から協力者として対等に接してくださったように思います。その後、先生から講演のご依頼をいただいたり、私が所属する大学でのご講義を先生にお願いしたりといった往来があり、QBSのアドバイザーをお願いした際にも快くお引き受けいただきました。

 前述した協議会では、いつも先生は具体的なデータを挙げて、QBSが高いレベルの教育プログラムを実践してきた日本の代表的なビジネス・スクールであると評価して下さいました。世界有数のビジネス・スクールで教えてこられた先生の評価であり、決してお世辞などを言われる方ではありませんでしたから、これはQBSとして誇って良いことだと私は思っています。また、先生はビジネス・スクールでの研究指導の重要性を常に主張され、最後に出席された協議会でもプロジェクト演習での論文指導のあり方に関するご助言をくださいました。

 先生が亡くなられて1年が過ぎた今、かつて頂いた様々なご助言の重要性を改めて認識し、ビジネス教育の発展に活かしていきたいと思っています。

今回のまとめ: 昨年6月に逝去された榊原清則先生は、グローバルなスケールでビジネス教育に携わりながら、常に日本の企業やビジネスパーソンの将来を案じていた先達でした。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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