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廣岡浅子の生涯からまなぶ⑤

平野琢 企業倫理、リスクマネジメント

22/07/11

今日はこれまでに続いて明治・大正時代に活躍した女性実業家、広岡浅子の生涯について話していきたいと思います。今日はその中でも浅子の多角化経営、特に以前話した石炭事業の失敗、これのリベンジ、再挑戦の物語について話していきます。前回お話した通り、経済不況、そしてインフラの整備が追い付かなかったことから浅子の初めての石炭ビジネスの挑戦は失敗に終わってしまいます。浅子達が作った石炭会社は1888年に解散してしまいました。しかし、浅子自身はこの石炭ビジネスを単なる失敗では終わらせたくなかったようで、浅子は石炭を産み出す山、つまり炭鉱だけは手元に残しておきました。解散の際に浅子の夫である新五郎や加島屋の本家の当主である正秋は、石炭事業の失敗分を補填するという意味でも石炭関連の試算を全部売却した方が良いと主張しました。あれほどやって上手くいかなかったので、未練をすっぱり切りたいという気持ちがあったのかもしれません。しかし、浅子はこれに反対しました。そして浅子の反対の結果、当時会社が持っていた潤野炭鉱、今の飯塚市にある炭鉱ですが、これだけは売却されませんでした。おそらく浅子はこの潤野炭鉱をリベンジのきっかけとして残しておきたかったのではないか考えられます。そして、この浅子の考え通り最初の石炭ビジネスの失敗から7年経過した1895年、浅子はいよいよこの潤野炭鉱を使って石炭ビジネスに再チャレンジを始めます。当時、この潤野炭鉱は飯塚市にあったのですが、ここの地域の石炭の産出量が増えていました。これを見た浅子は、隣の炭鉱が上手くいっているのにうちの炭鉱だけ成功しないというのは道理が無い、絶対上手くいくはずだとして周りを説得して、これまで採掘していた場所とは別の区域の掘削と再開発に着手しました。ただ、当時の技術というのは今の掘削技術や地質学の知見ほど発達していなかったので、かなり賭けであったとも言えます。ただし、この再挑戦では余程広岡浅子は成功させたかったのか、経営者である浅子自身が炭鉱の採掘現場にまで赴いて陣頭指揮を執るという当時では信じがたい行動に出ます。

当時は企業経営に関わる女性ですら珍しい時代でした。ですから企業の中で女性を見るということもあまり無かった時代です。更に当時の炭鉱はすごく過酷であり危険な労働環境であったために、男性の経営者であろうとなかなか立ち入らなかった場所になります。当時の浅子の行動が如何に驚きであったかについては、当時のエピソードが新聞記事や雑誌記事に多く残っています。例えば浅子の友人であった女性記者は、深窓の令夫人、簡単に言うと、世俗に染まっていない高貴なご婦人たる人がピストルを懐にして炭鉱の労働者を指揮した時、世間の人はとてもまともじゃないと言いました、というように記載しています。実際に銃を持って出向いていたかという真偽は不明ですが、この記事は如何に危険な場所に如何にその場に似つかわしくない女性が出向き、世間が驚いたかという事をよく表していると言えます。

浅子自身も当時の様子を晩年に振り返っていて、女が実業界で働いているのも見ることさえ十分衝撃的であったにも関わらず、男の人でさえほとんど試みていなかった鉱業、炭鉱に女性が取り組んでいるのを見て、世間の人々は私の事を正気ではないと思っていたと回想しています。ではこの決死の覚悟で挑んだ炭鉱ビジネスへの再挑戦、成功したのでしょうか。結論を言えば、浅子のリベンジは見事に成功します。再チャレンジを始めた次の年の1896年6月に浅子達は見事に質のいい石炭の鉱脈を発見します。今でもその産出量のデータが残っており、1897年から急増して明治29年から明治32年にかけては3年間で産出量が13倍近くに増えたという記録が残っています。そして、加島屋は1901年にはこの炭鉱を官営の八幡製鉄所に売却し、結果として加島屋は投資額を上回る利益を手にすることが出来、石炭ビジネスへのリベンジは大成功のうちに幕が下りるということになります。

浅子が実際に現場に行ったことは何らかの効果はあったと考えられます。しかし、歴史の精緻な視点から見ると、浅子が炭鉱の現場に赴いた事で周囲がすごく驚いたというエピソードはよく記録に残っているが、彼女がどのようなマネージメントを炭鉱で実際に行い、どのような結果をもたらしたか、これについては資料が非常に少ないです。ただ先程触れた通り、当時の経営トップが採掘現場に赴くことは非常に稀な現象でした。また当時の鉱山の現場では労働安全等に関して様々な問題があり、経営者がそれを見ていないからこそ放置されていた問題も多かったと思います。これを踏まえると、経営トップの浅子が現場に赴く事でこれまで見落とされていた現場の問題に気付き、積極的な解決が図られたのではという推察は容易に出来るかと思います。

今日のまとめです。周囲が驚くようなアクションで石炭ビジネスの再チャレンジを成功させた広岡浅子、このプロセスには目的の達成のためには何が必要かを考え、必要であると判断した場合に前例や慣習にこだわらずこれを実践していくという浅子の経営者としての姿勢が垣間見られます。

分野: 企業倫理 経営リスクマネジメント |スピーカー: 平野琢

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