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ブックレビュー(29) A・アインシュタイン、S・フロイト(浅見正昇吾訳)『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社学術文庫

永田晃也 技術経営、科学技術政策

22/06/29

 今日は『ひとはなぜ戦争をするのか』というタイトルの本を紹介したいと思います。今年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、連日ウクライナの過酷な戦災状況が報道されており、資源価格の高騰などから日本のビジネスへの影響も顕在化している中で、このタイトルが表している直截な問い掛けは、おそらく多くの人たちに共有されていると思います。

 この本は、相対性理論で著名な物理学者のアルバート・アインシュタインと、精神分析学を構築したジークムント・フロイトの間で1932年に交わされた往復書簡を収録したものです。フロイトの著作としては複数の翻訳がありますが、講談社学術文庫版は、アインシュタインの書簡も含まれています。

 本書の解説によると、この往復書簡は、アイシンシュタインが国際連盟から、人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、最も意見を交換したい相手と書簡を交わすというプロジェクトを持ちかけられたことを発端としています。アインシュタインは、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか」というテーマを選びました。意見交換の相手にフロイトが選ばれた理由は自ずと明らかです。数世紀もの間、国際平和を実現するために多くの人々が真剣な努力を傾けてきたにも関わらず、いまだに平和が訪れていない。だとすれば、それは人間の心自体に問題があるのではないか。人間には、憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする本能的な欲求が潜んでいるのではないか、とアインシュタインは問い掛けています。そして、人間を憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか、という問題を提起しているのです。

 これに対してフロイトは、破壊に対する本能的な欲求というアインシュタインの見立てを全面的に肯定することから返信を書き起こし、自身の「欲動」の理論を説明しています。この「欲動」という語は、ドイツ語のTrieb(トリープ)の訳語で、「本能」と訳されることもあるようです。

 フロイトは、人間には2種類の欲動があるとしています。1つは生命を保持し、統一しようとする欲動で、これを「エロス」と呼んでいます。エロスというのは、ギリシア神話に登場する愛の神の名前です。そして、もう1つは破壊し、殺害しようとする欲動で、攻撃本能とか破壊本能という言葉で捉えられてきた「死の欲動」だと言っています。

 因みに「死の欲動」という概念は『快感原則の彼岸』という1920年に刊行された著書の中で初めて論じられており、フロイトの精神分析を継承した学者たちは、これを「タナトス」と呼んでいます。タナトスというのは、やはりギリシア神話に由来しており、死を擬人化した神のことを言いますが、フロイト自身は『快感原則の彼岸』の中で一度もタナトスという語を使っていません。調べてみたところ、私的な会話の中では使われていたようです。

 人間には破壊的な死の欲動が本来的に備わっているというフロイトの指摘は、私たちに抵抗感を起こさせます。しかし、フロイトは生の欲動と死の欲動は、互いに対立するばかりでなく、互いに促進し合う面もあり、どちらも人間にはなくてはならないものであって、単純に一方を善、他方を悪と決めつけることはできないと述べています。例えば、自分の身体や生命を保持したいという欲動は明らかにエロス的なものだけれども、攻撃的な振る舞いができなければ、自分を保持することもできない場合があると指摘しています。そして、歴史上に現れた無数の残虐な行為や、日常生活に見られる夥しい数の残虐な行為を見れば、人間の心にとてつもなく強い破壊欲動があることが分かるとした上で、「人間から攻撃的な性質を取り除くことなど、できそうもない」という結論を導いています。

 さらに、フロイトはこうした結論の上に立って、アインシュタインの提起した問題に答えようとしています。人間がすぐに戦火を交えてしまうことが破壊欲動のなせる業だとしたら、それを阻むためには、その反対の欲動であるエロスを呼び醒さなければならない。そのためには、人と人との間に感情の絆を作り上げ、あるいは人と人との間に共通性や類似性を見出して、そこに一体感や帰属意識を生み出していくことが必要であるとしています。

 また、フロイトは、なぜ私たちは人生の多くの苦難を甘んじて受け入れているの、戦争にだけは強い憤りを覚えるのかと問い掛け、そうした戦争に対する心と体の奥底からの深い嫌悪感は、文化によって作り出されてきたものだと述べています。文化の発展によって高められた知性は、欲動をコントロールし始めます。このことから、最後にフロイトは、文化の発展を促せば、戦争の終焉に向けて歩み出すことができる、と書いて書簡を締め括っています。

 このフロイトの処方箋は、破壊的な欲動が人間に本来的なものだという悲観的な見立てを踏まえている割には、あまりに楽観的で無力に見え、些か肩透かしを食わされたような印象を与えることは否めません。しかし、私たちが破壊欲動は遂に取り除くことができないという深刻な認識をフロイトと共有するならば、戦争を回避させる方法は、人間の絆を作り出し、文化を発展させることだという提言は極めて現実的で、根本的なものであることが分かります。破壊欲動は武器を持った者にはそれを使わせるに違いないので、相互確証破壊などという核戦略は現実的どころか危険な空想に見えてきます。

 ロシアによるウクライナ侵攻が勃発したとき、我が国のメディアでは、まるで20世紀に戻ったかのようだというコメントがしばしば交わされました。この感覚は、私たちの文化が戦争を当たり前の現実とする時点から遠く離れたところまで発展してきたことを単的に語っています。これまでウクライナがどこにある国かを意識したことがない人でも、自分達と同じように普通の生活を営んでいた人々に対する一体感が持てるからこそ、その戦災に心を痛め、支援のために幾許かの寄付を行っています。一般市民に対する戦争犯罪が行われているという報道は、人間の破壊欲動の根深さを改めて認識させるものですが、ロシア国内でも若年層の間に兵役拒否の動きがあるという報道は、彼らの日常的な感覚もまた戦争から遠く離れていることを示唆しています。戦争を回避させる上で、これほど強力な抑止力が他にあるでしょうか。

 最後に、この放送は「モーニング・ビジネススクール」という番組なので、戦争から遠く離れた文化を作り出す上で、ビジネスは最も大きな貢献ができる筈だということを述べておきたいと思います。

今回のまとめ: 戦争の動機となる死の欲動をコントロールするものは文化の発展であるとするフロイトの提言は、極めて現実的な処方箋です。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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