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廣岡浅子の生涯からまなぶ②

平野琢 企業倫理、リスクマネジメント

22/04/28

今回も引き続き広岡浅子の生涯をテーマにして、今日は特に浅子が経営者、事業家としてデビューするプロセスについてお話していきたいと思います。女子に生まれた限りは良妻賢母を目指すべきという時代のレールに不満を抱きながらも17歳で大手両替商である加島屋に嫁いだ浅子。彼女はどうして経営者の道を歩むようになったのでしょうか。女性が経営者になるというのは当時では非常に稀でした。

さらに明治時代は結婚した女性は民法上の契約の主体になる事が出来ませんでした。だから法律的に土地の購入時、土地の持ち主はといった場合に結婚した女性は自分の名前を登記出来ませんでした。まさにそんな時代だったので、大手の両替商に嫁いだ浅子さんが経営者になるということは非常にイレギュラーなことだったと言えます。大きなきっかけとなったのは戊辰戦争と明治維新です。この体制変化によって浅子が嫁いだ加島屋がやっていた両替商という業種はみな経営破綻寸前の大ピンチになりました。まず戊辰戦争ですが、戦いが始まったのは大阪のすぐ隣、現在の京都府のあたりでした。この時大阪の商人は、最初に幕府から京都の治安維持や戦費を賄うためにお金を出せと要求されたんです。さらには、鳥羽伏見の戦いとよばれる近畿地方の戦闘で幕府軍は新政府軍に負け、新しくやってきた新政府軍からも新しい体制構築の為に大阪の両替商はお金を出せと要求されました。当然戦争なので負けた方からの債権は回収出来ません。しかし権力者から要求されるということなので断る事も出来ません。大規模な大手両替商だけあってこれだけだったら直ぐに経営ピンチにはならなかったのですが、その後の明治維新における様々な環境変化、制度変化は加島屋を本当に経営の破綻寸前まで追い込んでいきます。まず貨幣制度の変化によって大阪の両替商が許されていた様々な特権が消えていきます。更にこれに加えて、廃藩置県、つまり藩をなくして新しく県を置いたんですが、大手の両替商が大名に貸していた債権の半分以上が無効、つまり不良債権になるという事態が発生します。この加島屋さん、大名に対するローンを主力事業の1つとして行っていたんですね。なのでたちまち大量の不良債権抱える事態に陥りました。しかもそれに加えて、廃藩置県では大名の借金が一部無効になる一方で、加島屋が逆に大名から預かって運用していた資金(簡単に言えば大名からの投資信託を頼まれていました)、ここで預かった資金の返還義務は免除になりませんでした。結果として大量の不良債権に加えて、大量の借金も抱える事態となり、加島屋はまさに明日倒産するかも分からない経営状況へと陥ってしまいました。さらにこの混乱の最中に加島屋の本家の当主が永眠されてしまいます。結果として若き本家の当主と浅子、そして夫の信五郎の3人で加島屋はこの難局を乗り超えなければならない事態となってしまいました。当時浅子は10代、本家当主と夫の信五郎は20代半ばという時期でした。この嫁ぎ先の大ピンチに際して広岡浅子はどうしたかと、実はこれを契機に浅子は加島屋の事業に携わっていきます。そもそも結婚後、浅子は夫の経営者としての頼りなさを見抜くと共に、商売はいつどうなるか分からないという優れた自身のリスク感覚から、算術や簿記など商売に必要な知識を独学で学んでいました。さらにそれに加えて夫の信五郎は、自身は実業については得意ではなく、浅子が経営に携わる事に強い抵抗感が無かったために浅子は積極的に加島屋の経営に携わるようになります。

当時の事を浅子は次のように振り返って、危機の時を見越して自分が準備をしてきたのはまさにこのような事態の為であり、一族の為、一家の暮らし向きの責任を負って奮起して事業界に身を投じましたと言っています。このように話すと広岡浅子の活躍ばかりに注目がいきますが、家父長制が強かったこの時代に浅子が経営に携わる事を夫の信五郎が拒否しなかった点、これはかなり注目に値すると思います。特にその時の大手の商店においては家父長制というのは非常に重んじられていた為に、家父長のトップである信五郎が浅子が経営に携わることを良しとしたことは、加島屋全体が浅子を認めることに繋がったのでこれは非常に注目すべきと思います。浅子は結婚後続けた勉学に加えて、持ち前の弁論の才能、そして何より自分の気持ちを通す行動力、これを発揮して様々な加島屋の立て直しの業務に奔走します。具体的には借金の整理、借金返済の猶予の交渉、そして債権の回収、新規融資のお断り。そして加島屋の為の資金調達。これらを行っていたようです。浅子の事業家デビューはどのような結果をもたらすのでしょうか。次回は初期の事業家としての浅子の記録やエピソードを語りながらこれについてお話していきたいと思います。

今日のまとめです。広岡浅子が事業家への道を歩み始めた背景には加島屋の経営難が大きく影響したと言えます。ただし浅子が経営難の際にいつでも事業に携われるように準備をしていたこと、そして浅子が経営に携わる事を夫の信五郎や加島屋が受容出来た事、これらも大きな要因の1つと言えます。

分野: スピーカープロフィール タグ 企業倫理 経営リスクマネジメント |スピーカー: 平野琢

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