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経営者は、なぜ「コンピテンシー・トラップ」にハマってしまうのか?

松永正樹 コミュニケーション学、リーダーシップ開発、アントレプレナーシップ

22/03/01

本日は、「コンピテンシー・トラップ」という現象について考えていこうと思います。コンピテンシー・トラップとはなかなか聞き慣れない言葉ですよね。背景情報として(これも聞き慣れないかもしれないのですけれど)「両利きの経営」という概念について、まず説明をさせてください。両利きの経営というのは、自組織が持つ強みや知的財産を効率的に活用してビジネスの収益性を高めることと、自組織がまだ持ち得ていない新しい情報やアイデアを求めてこれまでやったことがない取り組みを進めたりすることの両方を推進する事を言います。

経営学では、既存の強みを活かす前者のアプローチの事を「知の深化」、新たな情報や事業機会を求める後者の活動の事を「知の探索」と言ったりします。イノベーションを起こすには、知の深化と探索どちらも欠かせません。イノベーションは既存の要素を新しい形で掛け合わせて価値を創造する事なので、知の深化によって事業価値を高めることは必須です。一方で、それだけでは掛け合わせるべき要素が段々枯渇してしまうので、知の探索によって新しいアイデアを産み出す、あるいは集めてくる事もまた不可欠になります。しかし、実際には組織では知の深化の方に傾倒しがちで、知の探索を疎かにする傾向があります。

なぜかというと、後者は不確実性が大きくて計算が事前に立てにくいからです。既存の強みをより効率化して収益性を高める知の深化は、既に自分達が分かっていることをベースにその精度や性能を高めるので前年対比予想や予算が立てやすい。一方で、知の探索はそもそも自組織がまだ知らない情報や人脈、アイデアを求めて社外に出ていこうという事なので、本当に元が取れるのかどうか事前に分かりづらいわけです。その為、特に短期的な成果で評価がされるような環境下だと、コストや時間・労力がかかる割に収益面では計算が立てづらい知の探索は敬遠されがちになります。

これをコンピテンシー・トラップと言います。イノベーションを創出するには新しい知見や人脈が必要だと分かっては、いる。しかし、目の前の売上や評価がチラつくと既存の強み、即ちコンピテンシーから抜け出せなくなって、イノベーション創出が阻害されてしまう現象のことを言います。

ではここで改めて考えてみてください。今お話したことは、決して目新しい知見ではないですよね。新しいアイデアを積極的に活用してイノベーションを産み出そうという掛け声は、今やあらゆる組織で常套句になっているかと思います。にも関わらず、多くの組織がコンピテンシー・トラップにはまってしまうのは何故でしょう? これは決して経営陣が無能だからではありません。むしろ、データや過去の知見に基づいて合理的に経営をしようとすればするほど、コンピテンシー・トラップにはまりやすくなってしまいます。言い換えると、組織がコンピテンシー・トラップにはまってしまうのは、個人の問題ではないのです。短期的な視野でのという条件は付くのですけれども、合理的に戦略と組織体制を最適化させるからだと考えられています。

その理由は、イノベーションが産み出されてから社会に価値として広まっていくまでには二つの異なるステージがある、という事が背景にあります。何か革新的なサービスやプロダクトが開発されて社会に普及し始めると、最初の段階では基本的な設計思想とか全体的なデザインに関する試行錯誤が行われます。例えば、ソーシャルネットワークサービス(SNS)が生まれた2000年代初期の頃は、実名を使うのか、それとも匿名でも可とするのか。また、誰でもアカウントを作れるオープンなシステムにするのか、それとも既存メンバーから招待状を貰わないといけない招待制にするのかとか、幾つか基本設計について色々なバリエーションがありました。

更に時代を遡ると、実は自動車が発明された時もガソリン燃料とする内燃機関だけではなくて、当時電気自動車とか水素自動車があったのです。しかし、当時の社会インフラの状況や科学技術の水準に最もマッチした内燃機関自動車がほどなく大勢を占めるようになりました。こうして一旦業界標準が定まると、今度は細かい部分でのすり合わせが勝負の鍵を握るようになります。自動車で言えば、最初は内燃機関でありさえすれば勝ち筋に乗れたのですが、マーケットが全て内燃機関型で占められるようになると、今度はデザインやエンジンの性能で勝敗が分かれるようになってくる。ここが、コンピテンシー・トラップが登場する瞬間です。

細かい部分でのすり合わせや性能向上が重要なステージに入ると、業界を一変させるような革新的アイデアはもう存在しません。その段階では、必然的に社外に積極的な探索の目を向けるよりも、既に定まった業界標準の中でより効率的で収益性の高い道を追求する知の深化にリソースを割り振った組織の方が優位に立てるのです。逆に、このステージに入っても知の探索に多くの投資をするのは経営資源の浪費につながる可能性が高く、競合に対して劣後し易くなるという事があります。こうして、いつしか既存の枠組みの中で専門知識を深めること、つまり、知の深化による成功体験が組織内に蓄積されていって、気が付いたらコンピテンシー・トラップにはまっているという事になるのです。

コンピテンシー・トラップにはまってしまうのは単なる無能のせいとかではなくて、むしろデータと知見に基づく合理的な判断であるというのは、以上のようなわけです。究極的には自分達の状況を客観的に把握して、今はどれぐらいのバランスがいいかを常にチェックすることが重要になってきます。しかし、目の前の仕事をやっている人にはなかなか難しいので、経営陣やリーダーにそうした客観性とか俯瞰した視点が求められるという所かと思います。

今日のまとめです。革新的なサービスやプロダクトが生み出されると、当初は基本設計を始めとする根本的な部分に関する試行錯誤が多発します。それが一段落して業界標準が定まると、今度は細かい部分の性能向上が勝負のカギを握るようになります。そうなると積極的に新しいアイデアを社外に出て探すよりも、既存の強みを掘り下げて効率化を進める方が効果的であるため、いつしか新しい情報や人脈を探すことに優先順位が下げられてしまいます。言い換えると、イノベーションを産み出すための両輪である、知の探索と知の深化のバランスを欠いてしまうコンピテンシー・トラップという現象は、経営陣が無能だからではなく、寧ろ合理的であるが故にはまってしまう罠であるというわけです。

分野: リーダーシップ 対人・異文化コミュニケーション論 組織行動 |スピーカー: 松永正樹

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