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オンボーディング

松永正樹 コミュニケーション学、リーダーシップ開発、アントレプレナーシップ

20/09/02

前回は、ヒトが組織の一員となって、そこでのルールや規範を学び身につけていく「組織社会化」、Organizational Socializationと呼ばれるプロセスについてお話しました。ヒトは周囲の人々から影響を強く受ける動物なので、上手く組織になじめるかどうかは非常に重要です。一方で、人生の中で何十回も退職する人は稀なので、組織社会化のプロセスに熟達することはそもそも構造的に難しいということにも触れました。言い換えると、新入社員の組織社会化が上手くいくかどうかは、社員個人の問題ではないということになります。経営学の中でも特に組織論や組織行動学の分野でこの問題は早くから認識されていて、組織社会化に関する困難を緩和しメンバーのスムーズな適応と戦力化を促進するにはどうしたらいいのかについて、長年研究が積み重ねられてきました。

組織社会化を効果的に促進するために組織が戦略的に行う一連の施策のことを、「オンボーディング(onboarding)」と言います。オンボードとは乗船や搭乗している状態のことで、オンボーディングというのも元々は船や飛行機に新たに乗り込んできたクルーに必要な手ほどきを与えて、集団に馴染むことを助けるプロセスのことを指しています。仕事の内容が複雑化・高度化し、そのぶん初心者と熟達者の生産性の違いが大きくなってきている現代においては、個人が優秀であるだけでは組織社会化を円滑に進めるうえで十分ではありません。組織の側にも、新入社員に一日も早く戦力となってもらいたい、そして、できれば長く働いてもらいたいというインセンティブが働きます。そのため、オンボーディングを充実させて、「エンプロイーエクスペリエンス(Employee Experience)」=EXと呼ばれる従業員体験の向上を図ることが、多くの組織において重要な戦略課題の一つとなっています。

そこで本日は、オンボーディング施策の国内事例を幾つかご紹介していこうと思っています。まずは、日本オラクル。こちらでは、新入社員が入ってくると直属の上司だけではなくナビゲーターと呼ばれる先輩社員、サクセスマネージャーという社員エンゲージメント室の社員がつく、複数サポート体制を敷いています。社員エンゲージメント室というのは他の企業でいう人事部に相当する部署です。日々の業務については、もちろん直属の上司がアドバイスやフィードバックをするわけですが、一方で経費精算の手順とか勤怠管理システムへの入力方法といった細々とした事務的事項については先輩社員が手ほどきをする。さらに長期的なキャリアプラン等は専門知識をもつ社員エンゲージメント室の社員がサポートをする、といった役割分担がなされています。ヒトとヒトのことですので、当然上司と部下の間には相性というものが作用します。しかしそこを運任せにせずに、万が一ウマが合わない上司と仕事をすることになった新入社員がいても、彼女/彼がすぐ相談できる相手を複数マッチングしておく事は、非常に合理的な仕組みではないかと思います。

二つ目の事例はLINEからです。こちらでは、質問受け付けのBOTアカウントがあります。出張の申請とか経費の精算、有給休暇は残り何日ありますかといったことを確認したい社員はLINEでBOTにメッセージを送ると、自動的に回答が得られる。さらには、もっと込みいった相談事がある社員向けに、社内には物理的な相談カウンターも設置されています。この二段構えの仕組みの優れた点は、人の自尊心にさりげなく配慮されている点です。自己有能感といって、人は誰しも自分が優秀であると感じたいという欲求を持っています。厳しい選抜を経て、多くの人が憧れるLINEのような組織の一員になった社員であればなおさらです。それが細かな手順とか備品、例えば「ちょっと怪我してしまいました。絆創膏はどこにありますか」と保管場所についていちいち聞かなければならないというのは、分かっていてもストレスに感じられるものです。そうしたことについてはAIを使って自動応答で対応する。一方で、もっと複雑な相談になると専門のスタッフが応じる、というのは心理学的な観点から非常に優れた仕組みだと言えます。

もう一つご紹介させてください。社内のネットワーキングを促進している事例として株式会社メルペイの同期のメンバー同士でランチに行くための補助金制度があります。また、同じIT企業のサイバーエージェントでは、普段の業務で接点が無い社員同士がランチに行くときに補助を出すシャッフルランチという制度があります。どちらも「普段一緒に話をしない相手とランチをすることを会社が推奨している」点が特徴的です。また、夕食や飲み会ではなくランチというところも一つポイントで、昼食は誰しも取るものですし、ふつうは会社にいる時間帯にランチをします。もちろん、今は新型コロナウイルスの感染拡大防止でリモートワークとか分散出社といった状態にあるかとは思いますけれども、それでもやはり夜の飲み会とは違って育児や介護といった事情がある社員でも参加しやすいですし、お昼休みという大枠が決まっているので時間に関する懸念も薄い。いわゆる飲みニケーションが大好きな人は多いのですけれども、じつは組織として投資する、つまりなんらかの金銭的なインセンティブをつけるのであれば、ランチの方がはるかに効率的で時間及び費用対効果が高いと思われます。

こうしたオンボーディングを設計する上で有効なのが「ナッジ(Nudge)」という行動経済学の概念です。ナッジというのは元々ヒジで軽く突いて行動を促すといった意味で、ヒトが数多ある可能性の中から望ましいオプションを自然に選択するように環境や条件を設計することを言います。たとえば、海で行われたある実験では、小学校の食堂内のメニューを、内容は変えずに陳列の配置だけを変えました。そうすると、生徒がより多く野菜を食べるようになり、また、残す量も減ったので廃棄ロスが減らせたという事例があります。別の研究では、子どもが自分の部屋に行くために必ず(家族がいる)リビングルームを通らないといけないという間取りの家に住んでいる家族だと、子どもがいじめを受けたときに家族がそれに気づく確率が有意に高いということも指摘されています。子どもがリビングを通れば親や兄弟姉妹が自然と「おかえり、今日はどうだった?」と声をかけるので、何かあればすぐ気づける、というのがその理由です。このように、個人の心がけや努力とは無関係に望ましい行動を誘発する仕掛け、これをデザインしてあげるのがナッジの重要なポイントです。本日ご紹介した事例はいずれもこの要件を満たしたものであり、ナッジのケーススタディとしても非常に優れたものと思います。

今日のまとめです。組織社会化をスムーズに進めるには、個人の努力だけにおもねるのではなく、組織が積極的に仕組みを作るオンボーディングが欠かせません。効果的なオンボーディングを設計するには、様々な行動の選択肢の中からオンボーディングを推進する上で最も望ましいものを人が自然に選択するようにデザインする、ナッジという考え方が有効になります。

分野: リーダーシップ 対人・異文化コミュニケーション論 組織行動 |スピーカー: 松永正樹

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