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評価の難しさ③

松永正樹 コミュニケーション学、リーダーシップ開発、アントレプレナーシップ

20/02/05

前回は、ヒトは思い出しやすい情報をイコール重要な情報だと勘違いしがちである、という「利用可能性ヒューリスティクス」を紹介しました。評価する側がこのバイアスをきちんと意識しないと、自分の手柄を声高にふれまわる人が不相応に高い評価を受けてしまい、組織の在り方にも影響が及びます。本日は視点を変えて、評価を受ける側の認知バイアスについても考えてみましょう。

仮に、評価をする側は100%完璧に妥当な評価をしたとしても、今度は評価を受ける側にはまた別の認知バイアスが働き、そのために思わぬ不満が生じる場合があります。

例えば「期待比較バイアス」というものがあります。ヒトはどんな場合であっても必ずなんらかの「期待」を抱いた上で情報を処理します。全くの白紙で、客観的に情報を受け止めるということはありません。

そして厄介なことに、どんな期待を抱くかというのは、客観的な情報が同じ場合であっても、人によってかなりバラつきがあります。例えば、同じように思わしくない成績だったAさんとBさんがいるとします。ただAさんは「今期の仕事ぶりはそれほどでもなかったから、厳しめの評価でも仕方がない。来期頑張って挽回しよう」という期待を抱きます。一方で、Bさんは「苦しい環境のなかでも自分なりに頑張って精一杯の成果をあげた。これは高く評価されて当然だろう」と思っている。よくあるパターンなのではないかと思われます。

評価する側としては、この期待のバラツキが解決困難のジレンマとなります。というのも、一人ひとりのメンバーの期待に極力そえるよう、彼女ないし彼の所感を汲み取った上で、それを評価に反映させようとすれば、必然的に評価基準が人によって変わってしまいます。かといって、全員に同じ基準を機械的に当てはめようとすると、今度は期待が高い人達を中心に不満が生じます。そもそも前回も話したように、評価する側自身もバイアスに影響を受けてるなかで「この基準が正しい」と言い切ること自体非常に難しいということもあります。

さらに、評価を受ける側の認知バイアスとして、もう一つ、それに慣れてしまうということがあります。これは、同じレベルの評価や報酬を受けても、その数や経験の頻度が増えてくると、次第に満足感や感動が薄れてしまう現象のことです。

例えば、月の手取りの給与額が30万円だった人が高い評価を受けて月35万円を貰えるようになった、これは嬉しいですよね。とてもハッピーだし、高い満足度につながると思われます。

でも、年収1,000万円を貰っていた人が、昇給して年収1,060万円になった場合はどうでしょうか。

嬉しくないことはないと思いますが、恐らくその喜びの幅は小さく、少なくとも、月収30万が35万になるというよりは、ずっと感動は小さくなると思います。ただ月収30万が35万になる、月5万円アップというのは、年収でいうと60万円アップです。つまり、客観的には同じ昇給額のはずなんですが、それを受け取る側にしてみると全然喜びが違うということになります。

これは給料という定量的な評価に限らず、上司や同僚からの褒め言葉など定性的な評価についても同じことが生じます。俗なたとえで「一杯目のビールは最高だけど、五杯目になると惰性である」と言ったりしますが、たとえ評価する側が右肩上がりの評価を与えたとしても、受け手の側では段々それに慣れてしまって感覚が麻痺してしまうのです。そのため、以前よりも伸び幅が大きい評価でなければ、同じくらいに嬉しい、満足だ、と感じなくなってしまう。これも認知バイアスの一種です。

もちろん、受け手の感覚が麻痺していく以上に、どんどん評価や報酬をエスカレートさせれば、慣れの影響は抑えることが出来ます。最近少し落ち着く傾向が見え始めてはきましたが、アメリカのシリコンバレーを中心とした給与・待遇のインフレは、ある意味でこの路線に沿ったマネジメントの事例だと言えます。慢性的な人手不足を背景に、高度な技術をもったエンジニアに対しては何千万円にものぼる年俸を提示し、自宅と職場を往復するWi-Fi完備のバスを走らせて、休暇も取り放題、などの施策は、あの手この手で「我が社はあなたを高く評価しています。だからライバル社の会社にヘッドハントされても転職したりしないでくださいね」というメッセージを、何とかしてこの慣れの影響に抗いつつ伝えようとする、企業側の努力の現れとみることができます。

とはいえ、当然ながら経営資源は有限です。ヒトの期待度が高まったからといって、それに合わせて評価や報酬を際限なくエスカレートさせるということは、普通は出来ません。しかし、ただ漫然と「前年比○○%増」をデフォルトの評価にしていると――実際には、それすらも難しいというケースが多いかとは思いますが――受け手の側はやはりどんどん慣れてしまうので「正当な評価をされていない」と不満を募らせてしまう。これが、認知バイアスによって評価が難しくなる構造の一端です。

これに対して、残念ながら魔法の解決策はありませんが、まずは評価をする側とされる側、それぞれに認知バイアスが働いている、ということを理解するのが第一歩と思います。このようななかで、では「評価」というものをどう伝えていったらいいか、その辺りを次回以降、話します。

今日のまとめ:
評価に対する慣れの影響のために、たとえ右肩上がりの評価や報酬を得た場合でも、受け手側はだんだんと喜びや感動の幅が小さくなっていきます。受け手が麻痺する以上のスケールで評価や報酬をエスカレートさせるシリコンバレー的なアプローチもありますが、それよりまずは認知バイアスが「評価」にどのように影響するのかを理解するところから始めましょう。

分野: リーダーシップ 対人・異文化コミュニケーション論 組織行動 |スピーカー: 松永正樹

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