鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育
19/12/10
前回はトニー・ブレア氏でしたが、今回はトニー・ブレア氏から首相を引き継ぐことになったゴードン・ブラウン氏の時代についてお話をいたします。
トニー・ブレア時代は労働党政権だったのですが、彼が失敗してしまったところの話をもう一度おさらいすると、いわゆる「対テロ戦争」で、アメリカとの協調姿勢があまりにも露骨になりすぎ、「何だろうこれは?」という思いがした人がイギリス国内はもちろん、恐らく日本の中にもいたと思います。結局イランは大量破壊兵器を持っていなかったという事があり、政権の弱体化をきたして次のゴードン・ブラウン氏へという事になったわけです。ところがゴードン・ブラウン氏というのは、あまり華々しい印象が無かったのではないかと思います。
時期的にももちろんトニー・ブレア氏に比べて短かったという事もありますが、トニー・ブレア氏のようにあちらこちらで目立つような事をしたと人とは違う印象がある人です。同じ労働党ではあったのですが、いわいる政治的なスペクトラムとしてはトニー・ブレア氏よりもっと左寄りの人でした。ところがどこの国でも起こるように「俺はバリバリの右翼だ」「俺はバリバリの左翼だ」といっても、実際に政権につくと、真ん中の方へよってきてしまう事が多いです。気軽に色々な事を言っている時はいいけれど、実際に首相の座についてしまうと、色々な人の意見を聞いて、それをまとめていくという立場にたつので、どうしてもわがままを言うわけにはいかなくなるわけで、彼もそういう面がありました。本当はもっと労働党らしい事をしたかっただろうと思いますが、そこまで出来なかったという面があります。むしろその中道の方に寄っていく事によって労働党政権なりに自分の人気の引き延ばしをはかったような面もある、というふうに感じました。
実際問題として、今は保守党政権ですから、労働党内閣はここで区切りがついたという事となってしまいますが、彼は元々スコットランド生まれでエジンバラ大学で博士号をとったエリートでしたが、政治の世界にくると博士号をとったエリートだから上手くいくというものではなかった、という証になってしまいました。彼は元々トニー・ブレアの時代に財務大臣を長くやっていました。当初はご祝儀相場で順調だったように見えた訳ですが、何故か同時に保守党の方で人気が出た人がいて、次に首相になるキャメロン氏ですが、キャメロン氏の人気が出てきたために相対的に彼の当初のご祝儀相場が落ちてきて大変な事になったわけです。彼は非常に運が悪くて、丁度イギリスの経済状態が落ちこんでいくところに当たったのです。そしてその他にも彼自身の周りにスキャンダルが巻き起こったり、国内問題もいくつか起きてきて、結局早く駄目になってしまったということです。一時、リーマンショックに対する対応の仕方で、少しはやると思われた時代もあったようですが、残念ながら労働党としての支持率が史上最低となり、周りからも辞任を求められるところまでいってしまいました。日本を見ていても、運の良い時に首相になった人と運が悪い時になった人というのがいますが、この方は残念だったということになります。最後は総選挙を行いましたが、残念ながら過半数を大きく割り込みました。
イギリスは2大政党制に近いところがありますので、過半数を割るとそのあとはなかなか難しいです。結局、引責辞任をして政権が保守党に変わっていくということになってしまったわけです。トニー・ブレア氏やメジャー氏の時には「こういうことをしました」ということが色々と出てきましたが、私もピックアップして話をするだけのテーマがあまり出てこなかったという少し存在感の薄い人です。
今年はいわゆるダウニング街という首相官邸のある地域にも久しぶりに行ってみて、そこで色々な人が政治の話をしていて、ブレアやサッチャーの時代などを話しているのを耳にしました。ところがその時にゴードンがどうだったかなどは、いくら待ってもどこからも聞こえてきませんでした。存在感が薄かったという事は、逆に言うと大外れなヘマをして国民を危機にさらすというようなことをしたわけではないということです。話はこの後、テリーザ・メイとボリス・ジョンソンに続いていきます。イギリスの歴史はあと数回で終わりですが、この数回が大変です。ブレクジットの問題があるので、テリーザ・メイはこうでああでオシマイ、というような簡単な話ではないですし、ボリス・ジョンソン氏も今後どうなるかわかりません。
今日のまとめ:
トニー・ブレアを引き継ぎデイビッド・キャメロンとの間に入ったゴードン・ブラウン氏の3年間、目立たなかったけれどもイギリスの経済悪化と同調して、あまり大きな仕事が無かったかなという話をしました。
分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文