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教育者としての渋沢栄一~渋沢栄一の教育支援活動~

平野琢 企業倫理、リスクマネジメント

19/06/21

新しいお札で有名になった渋沢栄一ですが、彼の教育者としての側面についてお話します。1万円札のデザインとなった渋沢栄一にはどのようなイメージを持たれるでしょうか。実業家で銀行を作ったとか東京証券取引所を作ったとか、そういう側面でしょうか。

彼は近代資本主義の父親と呼ばれるだけあって、経済や社会事業への貢献イメージが大変強いと思います。ただし彼の歴史をよく見てみると教育活動にも大きな貢献を果たしています。彼が教育活動にどれだけ貢献していたかということは、様々な資料から確認することが出来ます。例えば渋沢栄一の伝記資料を詳しく分析した調査によれば、渋沢栄一が生涯に亘って運営や設立に携わった教育機関は合計で164校にも及ぶとされています。渋沢栄一が生涯に亘って行った寄付の額を全部調べてみると、一番大きな割合を占めるのは教育関連の寄付だったのです。このようなデータからも、実は彼はかなり熱心な教育者だったと言うことが出来ます。彼が支援したり設立した学校というのは今でも残っており、例えば有名なものとしては東京高等商業学校というのがありますが、これは現在国立市にある一橋大学になります。その他にも日本女子大学など、まだまだ残っている大学が沢山あります。

何故そのように渋沢栄一が教育に力を入れたのか、大変面白いポイントですが、簡単に言うと、民間企業への優秀な人材の供給というのが、彼の中の大きな目的だったようです。渋沢が活躍した明治期というのは官尊民卑、少し難しい言葉ですが、公官庁を中心とするような公的組織というものが世の中で敬われて、民間企業はどちらかというと蔑まれるという風潮があったようです。このような社会的風潮が何故あるのか。今の現代社会から見るとなかなか受け入れがたい風潮だと思いますが、その理由はそもそも江戸時代から軍事や行政を担う武士が階級的には上位にあって、商業を行う商人は身分的に低いと位置付ける社会制度が定着していたというのが大きな背景のようです。したがって江戸時代から明治時代に変わっても、民間企業より公官庁の方が身分が高いというイメージが世の中に残っていたようで、優秀な人材と言えば公官庁に流れてしまうということがあったようです。

しかし実は渋沢栄一は元々幕府のお侍だったのですが、その頃からヨーロッパなどの海外視察に多く出かけています。その視察の経験から、彼は民間企業の力が近代国家では重要であると考えていたようです。当時のヨーロッパはかなり産業的には発展していたのですが、ここでは軍人と商人が対等な立場で話したり、程度の差こそあったものの、身分的にフラットに交渉するというのが一般的になっていました。しかも商業に対する国の重視の度合いというのが強くて、国のトップである国王が自国の産業や製品を他国に売り込む、今でいうところのトップセールスのようなものが普通に行われていました。例えば幕末にベルギーを訪れて製鉄所を見学した徳川昭武に向かって、ベルギーの国王が自分の国の鉄鋼を売り込んだという記録もあります。そもそも商業みたいなものは身分の卑しい商人がやるという前提があった武士からすれば、この光景はかなり衝撃的だったと思われます。

まとめれば日本がその時に目指そうとしていた近代国家のモデルとする国々では、商業自体やそれに関わる商人の身分は決して低くはなかったのです。これらを知った渋沢は固定化してしまった身分の概念を撤廃し、商業そのものや商業に関わる人の社会的地位を向上させることと、優秀な人材を育てて民間企業に供給すること、これが日本の発展には不可欠だと考えたのです。そしてそのために最も有効な手段として教育に力を注いだというわけなのです。実際に渋沢の教育活動の中でも特に商業教育はかなり熱心に取り組まれた記録が残っています。また商業や商業に携わる人々が社会的な尊敬を得るために、商業における高い道徳感や倫理観の重要性についても熱心に教育しています。

他にも渋沢の革新的な教育の貢献として、もう1つ注目すべき点は、民力を高めるために教育すべき優秀な人材を男性に限定せず、女性も含めていた点が挙げられます。当時の日本社会では女性教育というのが萌芽的には始まっていましたが、社会進出を前提とした女性教育というのは大変希薄でした。要するに家の中で活躍する、または良妻賢母となる女性教育は行われていましたが、社会に出て女性が活躍するということは教育の眼中にはありませんでした。しかし渋沢は女性にも男性と同じ国民としての才能や知恵、道徳を与えて共に助け合うべきであると、考えていました。そうすれば当時日本の5,000万人ぐらいの国民のうち2,500万人しか活用出来なかったところが、更に2,500万人を活用出来るということで、国力増強のためには女性教育が重要だと彼は考えていたのです。実際に渋沢は民間女子教育機関への支援活動を積極的に展開しています。1885年の明治女学校への寄付に始まって東京女学館、日本女子大学など生涯を通じて約46年間、29校以上の多くの女性教育機関を支援しました。

(今日のまとめ)
日本の近代資本主義の父と呼ばれ、社会事業や公共事業への貢献イメージ強い渋沢栄一。しかし彼は近代教育の発展においても大きな貢献を果たしています。特に商業教育や女性教育においては先進的な考えを持ち、実践している点は大変注目に値します。起業家としてではなく教育者としての渋沢 栄一について勉強してみるのも面白いかもしれません。

分野: 企業倫理 経営リスクマネジメント |スピーカー: 平野琢

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