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イギリスの歴史(18): スチュアート朝(1)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

15/01/30

「イギリスの歴史シリーズ」第18回目の今日は、いよいよテューダー朝の次の王朝、「ステュアート朝」に入ります。これは1600年代のお話です。ステュアート朝というのは、共和制の時代を境に、前期と後期に分けて考えられることで有名です。その共和制の時代というのは、「オリバー・クロムウェル」という人が世の中を引っかき回した時代でもあります。

ステュアート朝というのは、実はスコットランドから王様を招きました。自分の敵国から王様を招くというのは非常に不思議な話ですが、実はテューダー朝の最初の王様がスコットランドから攻められないように自分の娘を嫁がせたという経緯があり、その血がずっと続いていたのです。その王様をエリザベス1世に子供がいなかったことを理由に連れてきた、というわけです。

スコットランドでは、ジェームズ世と呼ばれていましたが、イングランドでは「ジェームズ世」と呼ばれています。この方は、イングランドに来て以降、二度とスコットランドに帰ることはなかったということです。ジェームズ1世は、どちらかというと学者肌的な方で、政治家という性格では無かったため、議会とは度々揉めていました。日本では江戸時代にあたります。

イギリスは、民主主義や議会がかなり初期の頃から発達していた国であるため、この時代に入ると国民全体が近代的自我の目覚めという感じで、世の中が進歩していく時代になり、王様の権力と貴族達を中心とした議会の権力とがぶつかり合うような時代になっていったわけです。

そのため、前期のステュアート朝が潰えてしまう時代と、最後に後期のスチュアートが潰えてしまう時代のそれぞれで革命が起き、その前者を「清教徒革命」と呼びます。

様々な言い方があるようですが、ここでは「清教徒革命」でいきましょう。最初の王様であった「ジェームズ世」という人は、まずまずの人だったのですが、2代目の王様が息子の「チャールズ1世」と言いまして、後にギロチンで処刑されてしまいます。国家元首と言われている人をギロチンで処刑すると言うのは私達の歴史ではなかなか考えられない事ですが、こうした運命を辿ることとなった経緯について、今日は初代の王様「ジェームズ世」の話を少し進めることにします。

「ジェームズ世」という方も実は娘をドイツに嫁がせています。自身がイングランドの血を引き継いでいたことが頭にあったのかもしれませんが、後に血が途絶えた際、ドイツから王様を招くことになります。
「王権神授説」という言葉がありますが、この場合の"神授"は神様が授けるという意味で、王様が権力をふるうのは、神様の代わりにその権力を行使しているという絶対権力であり、人は逆らってはいけないという考え方を指します。「ジェームズ1世」はこうした神学的に理屈を詰め力を示そうとしたわけですが、この時代にそういう事を押し通そうとすると、議会を中心にして反発を買うわけです。そうした流れのまま、2代目の王様「チャールズ1世」の時代へと突入していくわけです。
こうして議会や貴族の人達と王様の権力が対立するときは、税金を巡る争いに集約されます。この時代も例外ではなく、国家財政が厳しいため庶民や貴族からお金を取りたい王様と、それを認めたくない議会が対立するわけです。この時代は、その他にも細かい歴史をいうと議会が長いこと開かれないなど様々な難事があったわけですが、「権利の請願」というマグナカルタに次ぐ大きな法律を定めます。これは、王様に「税金を課す時は議会の承認が必要」という事を認めさせたものです。チャールズ1世としては苦渋の決断といった感じで、後から反撃に出るのですが再び反逆され、最後は首をとられてしまいます。この詳しい経緯については次回、「清教徒革命」のお話とともにしたいと思います。

「ステュアート朝」というのは、近代への橋渡しということで、議会との間の関係が微妙なものになっていって、現代に繋がっていく流れが見える時代になったと言えると思います。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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