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イギリスの歴史(14):チューダー朝(1)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

14/04/24


今日は、イギリスがヨーロッパの大国への仲間入りを果たし、世界の大英帝国になっていく時代についてお話します。特に、その最初期にあたるチューダー朝が、今回の主題です。

チューダー朝の勃興以前には、戦乱に次ぐ戦乱がために、安定しない時代が続きました。ランカスター家とヨーク家という二つのファミリーが覇権を争い、国内は大変な状態になっておりました。以前にもお話しましたが、シェークスピアは、この時代の血みどろな様子を好んで描いております。そうした最中、チューダー朝の創始者であるヘンリー7世は、この状態の打破を試みます。

ヘンリー7世はランカスター家の人でしたが、ヨーク家側の女性と政略結婚をし、手打ちとしました。ランカスター家とヨーク家による争いが薔薇戦争と呼ばれていることからもわかるように、ランカスター家が赤薔薇を、ヨーク家が白薔薇を、それぞれ記章としていました。チューター朝の記章には白と赤の薔薇がそれぞれ散りばめられており、両家を立てていたことが窺えます。

このようにして、平和な時代が始まることとなります。ヘンリー7世は、学問の交流や財政の立て直しに腐心しました。彼の後を継いだヘンリー8世が浪費家でどうしようもなかったことに対して、ヘンリー7世は節約家であったと言われております。またヘンリー7世は、国内だけではなく海外とも手を結ぶことで、外国から攻められないようにしました。具体的には、北はスコットランドへ自身の娘を嫁がせて、南はスペインへ息子を送って、スペインの王女と結婚させております。これは、イギリスを挟んでいるスコットランドやスペインから攻められないことを目的としたものです。ずっと先の話になりますが、後にスコットランドに興ったステュアート家より、王様をイギリスへ招くことになります。ヘンリー7世が娘をスコットランドへ送っていたことが、その遠因でした。

ところで、ヘンリー7世の「ヘンリー」は、日本語でいうところの下の名前です。イギリスの王様はすべて、下の名前で呼ばれます。実はこれが、もっとも正式な呼び方なのです。以前に、爵位を持っているイギリスの方と会話をしていた時に、皆"Sir"の後に下の名前を付けていることに気がつきました。そこでよく調べてみると、"Sir"を用いる場合には下の名前だけを付けることが正式であるとのことでした。たとえば私が爵位を得た場合には、"Sir右文"が正式名称となります。

話を戻します。チューダー朝を開いたヘンリー7世は、イギリスの基礎のひとつをつくりました。この後イギリスは、大英帝国へ発展していきます。彼は、ウェストミンスター寺院を寄進したことでも知られます。この寺院は、『ダヴィンチコード』の中でも触れられており、皆さんがロンドンへ行くと、いの一番に観光する場所です。歴代イギリス王朝の、菩提寺のようなものです。カンタベリーにあるカンタベリー大聖堂が現在のイギリスの国教会の中心となっておりますが、ウェストミンスター寺院はそれとは別格の王朝の菩提寺です。

今日のお話をまとめます。
チューダー朝は、イギリスの安定期のはじまりにあたりまして、ここからイギリスが欧州の大国に育って行くことになります。創始者であるヘンリー7世は、さまざまな賢い政策をとったことで知られています。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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