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いい日、旅立ち②

出頭則行 マーケティング

13/04/01

今回は前回の続編で、「本当の自分って本当にいるのか」ということを中心にお話します。

前回の話を少しおさらいします。自分というものは、例えば家庭の自分、職場の自分、合コンの自分、友人との自分というように様々にあり、それぞれが本当の自分ではないかということ。そして、それぞれに自分らしさがあるわけですが、本当の自分というのは、その色々ある自分を繋いでいる糊代みたいな「機能」であり、「実体」ではない。機能には確固とした形はないので探しだすのはとても難しい。だからこそ自分探しの旅は困難なのではないかということ。以上の二点が前回お話した内容です。
この話は平野敬一郎さんという方の「私とは何か」という本から随分示唆を得ています。本当の自分とはたくさんあるということを、彼は「個人(individuals)」と「分人(dividuals)」という言葉で言っています。個人があって、個人の中にはいろんな分人があり、その集積が個人であると言っています。従来は、個人というのは一個の独立した存在として考えられていましたが、本当は色々な自分が存在しているのではないか。家庭の自分が嘘で、本当の自分は他にいる。職場の自分が嘘で、本当の自分は外にいる。そういった考えは違うのではないか、ということです。

犯罪者が出てきたりすると、よく「本当の彼はこうだった」といったことが言われますが、それは本当なのかということです。「裏側の彼」という表現もありますが、裏側が本当ということになってしまいます。それぞれが本当の自分だということになると、人間はもしかすると、人との関係の中で自分を探している、自分を見つけているのではないか?前回お話した「いい日旅立ち」という歌の中には、「私を待っている人がいる」というフレーズがありますが、私を待っている人はもしかすると永遠に出てこなくて、一方で「私らしさを発揮できる人」は身近にいるかもしれません。あるいは、職種には限りがあるため、自分に本当に適した職というのはそんな簡単に見つからないと思います。しかし、もしかすると「自分らしさを発揮できる仕事」は身近にあるかもしれません。

そういう意味で、本当の自分は、コミュニティの中にいるのではないでしょうか。つまり、人間はコミュニティの中に生きていて、自分の心の中に本当の自分がいるというのは、違うのではないでしょうか。従来の個人というのは、確固とした独立した人格。選挙運動などでも、昔はよく「清き一票をお願いします」と言って触れ回っていました。清き一票というのは、「あなたの人格をかけた投票行為」ということを示唆しています。ところが、自分の中に色々な自分がいるならば、その中の一人が投票しているかもしれないわけです。この頃よく、五万票で受かる人もいれば、十万票で受からない人もおり、「一票の軽さ」と言われています。そういう意味では、票数自体がかっては人格を掛けた投票行為の結果だったでしょう。しかし、今は「分人」、つまり自分の中のいる一人が投票しているのかもしれません。そういう点では、一票自身が軽くなっている可能性もあるわけです。それを裏付けるわけではありませんが、前回の衆院選では10以上の党が存在する、「多党化」が起きています。色々な「分人」に対応しようとすれば、多党化せざるを得ず、色々な人間が自分の中にいて、それが投票しようとしているのであれば、浮動票にならざるを得ません。つまり、選挙では浮動票の動向というのが非常に大事になってくる、そんな見方もできます。あるいは、昨今はよく仕事を分けあおうという「ワークシェア」、あるいは仕事とプライベートな生活の調和を意味する「ワークライフバランス」といったことが言われますが、これもまた、色々な自分がいることが前提になっています。このことをマーケティングになぞらえてお話しますと、従来消費者というのは、一つの独自のライフスタイルを持つという前提があったと思います。ライフスタイル分析の先駆けにマズローの欲求五段階説というのがあります。これは、衣食住の基本的欲求を満たしたいという「生理的欲求」から、内的にも満たされたいという「自己実現欲求」まで五段階に人間の欲求は分かれているというもので、ライフスタイル分析の古典ともいうべきVALS(Values & Lifestyles)はマズロー説を元に人間の性向を外交的な人や内向的な人、保守的な人、革新的な人などなど、九つに類型化したものです。「マズローの欲求五段階説」やVALSは一人の人間は一つのライススタイル、ビヘイビア傾向しか持たないという前提の上に成り立っています。しかし個人の中に色々な自分がいるならば、内向的な自分もいれば、外交的な自分もおり、同様に積極的な自分もいれば、やや内気な自分もいることになります。

従来、一人の消費者が一つのライフスタイル、あるいは性向を持っているという前提でブランド観は成り立っていたと思います。しかし、色々なライフスタイルを一人の人間が内包するのであれば、ブランドが全人格的なライフスタイルの象徴ということは言い難くなります。そういう意味では、新しい消費者像というのはまだ生まれていません。新しいブランド観も生まれていないので、今日、「個人」と「分人」という文脈の中で新しいブランド観、すなわち新しい消費者像観が必要なのではないか、というのが今日の結論です。

改めて今日のお話をまとめますと、「本当の自分」というものは「人との関係の中」にあるのではないか、ということです。

分野: マーケティング |スピーカー: 出頭則行

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